ジストニアとは、脳神経に異常が起こり、勝手に筋肉がこわばってしまう病気です。
ジストニアの中にもいくつかのカテゴリーがあるのですが、一定の姿勢や何らかの反復動作をする職業が原因になっている場合、「職業性ジストニア」と呼ばれます。音楽家も反復動作が原因で、職業性ジストニアを発症することがあります。
というか、めちゃくちゃ多いです!普通は3400人に1人の確率なんですが、プロの音楽家は100人に1人がジストニアになってます。別名、音楽家のジストニアとも呼ばれています。
演奏家がジストニアになると、簡単なパッセージでも全くコントロールできなくなってしまいます。しかし、痛みはないです。そして楽器を弾かなければ動きに問題は出ません。世にも奇妙な症状なんです。
音楽家のジストニアについて専門的に取り扱った本も出版されています。
ジストニアそのものについて知りたい方は、ジストニア診療ガイドライン2018に目を通すのをおすすめします。
ジストニア診療ガイドライン2018
監修 日本神経学会
お医者さん向けの文書ですが、一般の人にもなんとか読めるぐらいの感じです。
今回の記事は、以上の二つの文献を参考にしています。その上で、わたしの体験から「音楽家のジストニアは完治するのか?」について書いていきます!
この記事はカラダ♮のYouTubeで発信している動画の内容を記事に直したものです。
映像を見た方がわかりやすい所も多々ありますので、ぜひ動画も参考にご覧ください!
Contents
結論
さて、わたしの結論から言うと、音楽家のジストニアは完全に治ります。
わたし自身が音楽家のジストニアになって完全に治りました。またわたしの所に来られて、ジストニアを完治させた人が何人もおられます。最短2年で演奏活動に復帰された人もいました。
完治は望みえます。しかし、決して簡単ではありません。
まずは現代医学が何を言っているか見てみましょう。
現代医学の意見
ジストニア診療ガイドライン2018に以下の記述があります。
Q.ジストニアは回復しますか
A.自然寛解率は増加していると考えられ、決して回復しない病気とは言えない。
- ジストニア診療ガイドライン2018. 日本神経学会, 2018, p.34
うーん、なんとも歯切れの悪い回答ですね。
“寛解”の意味はご存じですか?
寛解とは、完治はしていないものの症状を抑えている状態を指します。
つまり、日本神経学会の答えを意訳すると「マシになってる人は多いみたいね。ぜったい治らないとは言えないんじゃない?」っていう感じです!
それと「音楽家のジストニア」の項目ではこのように書かれています。
"音楽家は治療法の結果を他の分野の人々と同じように評価しない。演奏課題は高度な技術を要するため「全か無か」の法則で結果を評価する傾向がある。ある治療法で重要な改善が生じても、その音楽家が完全に発症以前と同様の能力を取り戻して100%の演奏ができないならば、その治療法の効果がどれほど明らかであっても効果がないと評価する可能性がある。"
- ジストニア診療ガイドライン2018. 日本神経学会, 2018, p.124
いやー、このニュアンスわかりますか?
お医者さんからしたら「良くなったじゃん」だったとしても、音楽家当人にとっては「ぜんぜん治ってないよ」って場合が多いということです。
・・・そりゃそうですよ!
われわれは寛解じゃダメなんです。発症以前と同じように弾けなきゃ、舞台に立てないし、ちょっとマシになる程度では満足できません!
そんなこんなでわかるのは、現代医学の現時点での結論は「音楽家のジストニアは、寛解はしても、音楽家が満足するレベルに治るのは難しい」ということですね。
ともかく、次はどんな治療法があるのか見てみましょう。
医学的な治療法
それではひとまず医学的な治療法を見てみましょう。
音楽家のジストニアの治療法は主に5つあるとされています。
1.リハビリテーション
練習を休止したり、特殊な装具を使って身体を動かしたり、感覚運動再起訓練と呼ばれる特殊なエクササイズをするなどの、神経リハビリテーションを指します。
2.薬
トリヘキシフェニジル、クロナゼパム、ゾルピデムなどを服用し、脳内ホルモンのバランスを変化させます。
3.注射
ボツリヌス毒素を注射して、緊張が強くなっている筋肉を麻痺させます。
4.外科手術
問題となってる脳神経を破壊する外科手術です。合併症のリスクが比較的高いです。
5.その他
鍼や、脳に電気刺激を加える治療法(tDCS, rTMS)です。
残念ながら、この中のどれも決定的な治療法ではありません。
神経リハビリテーションは”単独での治療効果は乏しい”(ジストニア診療ガイドライン2018. 日本神経学会, 2018, p.49)とされてしますし、薬や注射、鍼などは対症療法なので、根本原因を解決できません。また、外科手術や電気刺激にしてもどうも限界があるようです。
"外科手術後にジストニア症状が確実に消失することは期待すべきではない"
"経頭蓋磁気刺激(TMS)および直流刺激(tDCS)の手法は音楽家のジストニア治療において補助的な役割にとどまる"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.172
それじゃあ、やっぱりダメなんでしょうか?
いえ、諦めるのはまだ早いです。同じ文献にこうも書かれてあります。
"今までに一部の音楽家で演奏能力を完全かつ恒久的に回復することを可能にした治療法は、科学的または直観的に神経リハビリテーションの手法に従っている治療法のみである"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.157
つまり、まだわからないことが多いけれど、どうやら完治した人は神経リハビリテーションをやっているってことなんです。
神経リハビリテーションとは、さまざまな感覚や運動を使って、脳にもう一度正常な身体の動かし方を学んでもらおうとするリハビリです。
つまり「脳に再学習させて、新しい神経回路を作ろうぜ!」ってことなんですが、ここで大問題になるのが具体的にどんなリハビリをするのかってことなんです!
なにしろ音楽家のジストニアは「正しいと思われる動きを繰り返すこと≒練習しすぎ」が原因になっています。正しい動きを練習すると症状が悪化するなら、一体どういう具体的なリハビリが考えられるんでしょう?
さらに、同じジストニアでも、症状は人によって千差万別です。楽器によっても違うし、同じ楽器だったとしても、問題は右手なのか左手なのか。そもそも脳は一人ひとり違います。それに対して、どのような感覚や運動を用いたリハビリが良いのかというのは、めちゃくちゃ答えが難しいんです。
それなので、それぞれの分野でそれぞれの方が独自にこの問題に取り組んでいます。
ある人は特別な装具を使ったり、他の人は演奏テクニックを変えてみたり、さらに他の人は精神的な面からアプローチしたりしています。
つまり、神経リハビリテーションに一筋の光明が差しているのは確かなんですが、具体的な方法がわからないので、完治する人が少なく、医学的にも決定的な治療法とされていないのです。
"ジストニアは完治できると言えるにもかかわらず、いまだに絶対確実で申し分ないと証明された治療法は存在しない。"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.150
それでは次はわたしの症状、治ったプロセスについて見ていきましょう。
わたしのジストニアが治るプロセス
リハビリ期間中、偶然にも同じ曲を撮っていたので、それを時系列に並べながら、その時々の解説をしてみます。
演奏動画は、クラシックギタリストでなければかなりわかりにくいと思いますので、最初と最後だけを見比べてもOKです。
Ⅰ.ジストニア発症~9ヶ月ぐらいまで
イタリアの国立音楽院を卒業して日本に帰国し、リサイタルを終えた2週間後ぐらいに指の動きが変なことに気付きました。
ジストニア発症直後は、何をしても全く効果がありませんでした。
力を抜こうとしても、脱力うんぬんの次元でなかったです。完全に左手の指が硬直して弾けませんでした。
それから正確に9か月だったかは忘れてしまいましたが、ほんのかすかですが、意志通りに動かすことができるようになりました。
この9ヶ月間は、ギターを弾くことは完全にやめましたが、音楽から完全に離れるのは辛かったので、少しだけピアノを弾いていました。
おそらく、それがリハビリとして功を奏したのだと思います。
指の動きはガクガクブルブルしてる感じです。まるでナマケモノが地面を這ってる時のような感じでした。
しかし、指が反り上がったり、硬直していた時に比べたら、音が出せるだけでも大進歩でした。
これほどまでに症状が変わるのであれば、ジストニアを完全に治すことも可能だと確信し、独自にリハビリ方法を試し始めました。
なお、この時期の動画は撮っておりません。ギタリストとして希望を失っており、それどころではありませんでした。
Ⅱ.ジストニアから2年半ぐらい
2012年11月20日の演奏動画
この時、自分で試していたリハビリが大きく効果を上げていたので、すでにジストニアは治ったと思っていた(思いたかった)し、演奏も支障なくできると筈だと思っていました。しかし、演奏動画を撮ってみると手が思い通りに動かないことがはっきりしました。
ただの練習不足ではなく、はっきりと自分ではコントロールできない指のこわばりを感じて、「やっぱり治ってないのか…?」と落ち込みました。
しかし、ジストニアの症状がひどかった時は最も簡単な音型すら弾けなかったのですから、全く治ってないと断定するわけにもいきません。
はっきりと症状が改善してはいるのですが、治ったとも治ってないとも言えないもどかしい時期が続きました。
なお、病院では、この程度まで回復すれば完治と言われてしまうのではないでしょうか。
しかし演奏家当人にはわかる症状として、
・パッセージによってはコントロールが難しく、細心の注意を払わなければ弾けない。
・30分以上練習すると、だんだん手のこわばりが強くなるので、長時間の集中的な練習ができない。
・速さや強さを求められると、症状が戻ってきてしまうので、不自然な変え指やフォームで対応しなければいけない。
というものが挙げられます。
Ⅲ.ジストニアから4年半ぐらい
2014年10月14日の演奏動画
その後もリハビリを続け、3年半が過ぎた頃には治ったと自信をもって言えるようになりました。
上の動画はそれよりさらに1年経って、4年半が経過した時のものです。
かなりの動きにおいて、問題なく動かせるようになってきていて、はっきりと機能が向上しています。
しかし、ギリギリまでパフォーマンスの質を上げようとして、速度を上げると、指が不思議な硬直をし始めました。
ジストニアのリハビリにおいて越えられない壁のようなものを感じ、実際にはまるで治っていないのではないかと疑う時もしばしばありました。
この「やっぱり完治はしないのか…」と何度も突きつけられる絶望が本当に辛かったです。
Ⅳ.ジストニアから8年
2018年6月16日の演奏動画
その後も「やっぱり治ってないんじゃないか」というような症状に気付く度に、一つ一つリハビリを考え、独自の訓練を続けてきました。
ここまでくると、どう見てもジストニアは治っています。
しかし、完全に思い通りには弾けていません。弾きにくい運指は避けていたり、スピードを保つために軽めに弾いていたりと、わずかながら指の都合に配慮しています。
Ⅴ.ジストニアから12年
2022年7月15日の演奏動画
そして10年以上経った時に撮影した動画です。ジストニアの症状はほとんど完全になくなりました。
2024年現在は状態がさらに改善されていて、自分の意思に反して筋肉が縮こまったりこわばったりすることは、どんなパッセージを弾いている時でも一切なくなりました。
というわけで、わたし自身のジストニアが本当に治ったのは、動画を見ていただいてわかったと思います。
どんなリハビリをしたのか?
前述の通り、神経リハビリテーションが最も有効であろうことは、わたしも最初から直観的にわかっていました。
しかし、新しい神経回路を作る具体的な方法がわかりません。
この時にわたしが極めて幸運だったのは、以下の点です。
1.いったんギターを諦めたので、効果の期待できない治療法を試さなかった。
ジストニアを完全に治したいんであれば、きちんと根本原因に対処し、完全に治すことを目標にしている治療を受けるべきです。対症療法や民間療法、演奏フォーム改善のようなジストニアの完治が期待できない方法を試すのは、わたしにとって時間と労力の無駄でした。
ジタバタせずにいったん諦めたので、逆に最初の回復が早く、回り道をしなくてすんだと感じています。
2.新しい神経を作る方法論に偶然出会っていた。
ジストニアになる直前の時期に、知人からフェルデンクライス・メソッドという運動療法があるよと教えてもらい、テクニックの改善にも役立つと聞いたので、何回かレッスンを受けていました。その後ギターが弾けなくなり、色々な偶然も重なって、このメソッドを4年かけて専門的に学ぶことになりました。
そしてある時に「あれ?この脳についての理論がもし本当なら音楽家のジストニアは治らないか?」と気付いたんです。
フェルデンクライス・メソッドのレッスンは、全体的な身体の動きを改善して、肩こりや腰痛のような問題を解消するものが多いです。
しかし、その核となるアイデアは、脳神経の法則なので、指の動きのような細かい部分にも応用できます。そして、深い理解があれば独自のレッスンをいくらでも作っていけます。
わたしはジストニアになった最初の時から、それとは知らずに新しい神経を作る方法を学んでいました。
それでは実際のレッスンを一つ紹介します!
あなたにジストニアの症状があり、指の不具合を感じているのであれば、高確率で症状に改善がみられると思います。
1.仰向けにねて、両ひざを立ててください。右足と左足の間は肩幅ぐらいに離しておいてください。
2.両腕を肩の高さにまっすぐ伸ばしたら、両肘を直角に曲げて、天井に指先を向けてください。天井に向けたら、指先からは力を抜いておきましょう。
3.両肘の直角を保ったまま、両手を頭方向足方向の上下に倒します。両肘が地面から持ち上がらないように気を付けてください。両手が床につかなくても、倒せるところまでで大丈夫です。
4.今度は、右手と左手の動きを、それぞれ逆にしましょう。直角を保ってください。
5.それでは両手の動きにタイミングを合わせて、頭を左右に転がしてみましょう。力を抜いて、リラックスしてやってください。
6.両手の動きはそのままに、頭を先ほどとは反対方向に転がしてください。
7.両ひざを頭と同じ方向にそろえて倒してみましょう。
8.今度は、頭と両ひざを反対方向に動かしてください。
9.動きのパターンがわかってきたと思います。頭と両ひざがそろっている時に、両手の動きは2パターンあります。また頭と両ひざが反対方向に動いている時にも、両手の動きが2パターンあります。合計で4パターンの動きをそれぞれリラックスしてやってみてください。
10.全部できたら、ゆっくり立ち上がってきて、楽器を弾いてみましょう。
いかがでしょうか?あなたの症状に上手く合致していれば、ぐっと弾きやすくなった筈です。
指の動かしやすさは肩の動きやすさと大きな関係があります。
なぜなら、演奏というのは指だけ動かしているわけではなく、指や手首、肘、肩などの動きの連動だからです。
そして、各部分の動きはそれぞれ、対応する脳神経の活動として確認できます。(fMRIなどの機器を使えば、神経細胞の反応を実際に見られます。)
フェルデンクライス・メソッドのアイデアは、これらの神経活動をお互いに独立させ、それぞれを自由に連動させられるようになることです。
そういう意味で、先ほどやってもらったレッスンは、頭と肩、そして腰の機能をそれぞれ独立させるトレーニングだったわけです。
事実、ジストニアの原因は、脳神経の活動が重複してしまう、つまり各部分が独立せずに一緒くたに活動してしまうことである可能性が高いです。ということは、こういったトレーニングであれば、原因に直接的にアプローチできる可能性があります。
"音楽の訓練を受けていない人については、それぞれの指の感覚を司る皮質領域がはっきり限定されており、重複していない。ジストニアを患う音楽家の場合、各指に関する皮質野が増大するだけでなく重複部分が発生するため、さまざまな指からもたらされる感覚に携わる大脳皮質野が存在する。"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.113
リハビリに取り組んでる方へのアドバイス
最後に大事なことを。
“諦めてもいいんです。”
撤退は失敗ではありません。
わたしはとんでもない幸運だったので、完治にやっとこさたどり着きましたが、それでも10年以上かかっています。
元通りに弾けるようになったからと言って、それはゴールではありません。そこからまた演奏家としてのキャリアを再スタートするんです。
人生は有限です。リハビリに費やす時間とお金を使って、別の分野に打ち込んだ方が幸せになれないでしょうか。
ロベルト・シューマンはピアノが弾けなくなったので、作曲家になりました。ジャンゴ・ラインハルトは火傷で指が動かなくなったので、革新的なテクニックを編み出しました。
しかし、もし絶対にジストニアを完治させたいなら、あなたは常識の外側に行かなければいけません。そこは玉石混交の、道なき道を行く世界です。
常識的には治らない病気を治そうとするのは、ある意味、「空気より比重の重い機械が空を飛ぶのは原理的にありえない。」と言われながらも、飛行機を発明したライト兄弟や、1万回実験に失敗して「失敗じゃない。1万通りの上手くいかない方法がわかっただけだ。」と言ってのけたエジソンを目指すのに近いところがあります。
一番大事なのは、自分の頭で考えることです。自分の可能性を最大限に活かして、充実した音楽ライフをおくりたいですね!
さいごに
前述したとおり、ジストニアの完治は望みうるものとは言え、本当にそこまで到達するのはたいへんな道のりです。自分の症状に根気よく向き合って、さまざまな知識を学び、常識を疑い、事実だけを並べて、一歩ずつ前進していく作業です。
しかし、その到達点はすばらしい景色です。
わたしは音楽家としてのキャリア形成に大切な、青年時代のほとんどをジストニア克服に費やしてしまいました。
しかし、今ではそれを肯定できています。
そして青年時代が過ぎ去ろうとしている今も、少年のころに抱いた自分の夢を追いかけ続けられています。
音楽家のジストニアを患い、それを克服する経験がなかったなら、おそらくその夢はもう捨てていたでしょう。
今現在、音楽家のジストニアと闘っておられる全ての方に心からのエールを送ります。
この記事を読んだ方にとって、わたしの体験が少しでも参考になればたいへん嬉しいです。