音楽家のジストニアは完治するのか?【15年間の試行錯誤の結論!】

ジストニアとは、脳神経に異常が起こり、勝手に筋肉がこわばってしまう病気です。

中でも職業性ジストニアと呼ばれるものは、一定の姿勢や何らかの反復動作が必要な仕事をする人に生じるジストニアです。音楽家も反復動作をすごくする職業なので、職業性ジストニアになってしまうことがあります。
というか、めちゃくちゃ多いです。普通は3400人に1人の確率なんですが、プロの音楽家は100人に1人がジストニアになってます。別名、音楽家のジストニアなんて呼ばれています。
演奏家がジストニアになると、簡単なパッセージでも全くコントロールできなくなってしまいます。しかし、痛みはないです。そして楽器を弾かなければ動きに問題は出ません。世にも奇妙な症状なんです。

音楽家のジストニアについて専門的に取り扱った本も出版されています。

ジストニアそのものについて知りたい方は、ジストニア診療ガイドライン2018に目を通すのをおすすめします。お医者さん向けの文書ですが、一般の人にもなんとか読めるぐらいの感じです。

今回の記事では、以上の二つの文献を土台に、私の体験から「音楽家のジストニアは完治するか?」について書いていきます!

現代医学の意見

わたしの結論から言うと、音楽家のジストニアは完全に治ります。
わたし自身が音楽家のジストニアになって完全に治りましたし、周りでも何人か完全に治って演奏活動に復帰している人がいます。

しかし現代医学の意見はちょっと違います。ジストニア診療ガイドライン2018に以下の記述があります。

Q.ジストニアは回復しますか
A.自然寛解率は増加していると考えられ、決して回復しない病気とは言えない。
- ジストニア診療ガイドライン2018. 日本神経学会, 2018, p.34

うーん、なんとも歯切れの悪い回答ですね。
「寛解」の意味はご存じですか?
寛解は完治はしていないものの症状を抑えている状態を指します。
つまり、上記の文章を意訳すると「マシになってる人は多いみたい。良くならないとは言えないんじゃない?」ってニュアンスです!

さらに「音楽家のジストニア」の項目ではこのように指摘しています。

"音楽家は治療法の結果を他の分野の人々と同じように評価しない。演奏課題は高度な技術を要するため「全か無か」の法則で結果を評価する傾向がある。ある治療法で重要な改善が生じても、その音楽家が完全に発症以前と同様の能力を取り戻して100%の演奏ができないならば、その治療法の効果がどれほど明らかであっても効果がないと評価する可能性がある。"
- ジストニア診療ガイドライン2018. 日本神経学会, 2018, p.124

いやー、言われちゃってますね。
そうなんです!
われわれは寛解じゃダメなんです。発症以前と同じように弾けなきゃ、舞台に立てないし、ちょっとマシになる程度では満足できません!
ここからわかるのは、お医者さんからしたら「良くなったじゃん」であっても、音楽家当人にとっては「ぜんぜん治ってないよ」って場合が多いってことですね。

つまり、現代医学は音楽家のジストニアに対して「満足なまでにはまず治らないよ」という立場なわけです。

医学的な治療法

それではひとまず医学的な治療法を見てみましょう。
音楽家のジストニアの治療法は主に5つあるとされています。

1.リハビリテーション
練習を休止したり、特殊な装具を使って身体を動かしたり、感覚運動再起訓練と呼ばれる特殊なエクササイズをするなどの、神経リハビリテーションを指します。
2.薬
トリヘキシフェニジル、クロナゼパム、ゾルピデムなどを服用し、脳内ホルモンのバランスを変化させます。
3.注射
ボツリヌス毒素を注射して、緊張が強くなっている筋肉を麻痺させます。
4.外科手術
問題となってる脳神経を破壊する外科手術です。合併症のリスクが比較的高いです。
5.その他
鍼や、脳に電気刺激を加える治療法(tDCS, rTMS)です。

この中でリハビリテーション以外は、原理的に完治が期待できないと思います。
薬や注射、鍼などは対症療法なので、原因を解決できないですし、外科手術や電気刺激にしても緻密で複雑すぎる脳神経に対しては限界があるのではないでしょうか。

"外科手術後にジストニア症状が確実に消失することは期待すべきではない"
"経頭蓋磁気刺激(TMS)および直流刺激(tDCS)の手法は音楽家のジストニア治療において補助的な役割にとどまる"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.172

そんなわけで最も有効な治療法とされるのが、リストの1番目に当たる神経リハビリテーションです。

"今までに一部の音楽家で演奏能力を完全かつ恒久的に回復することを可能にした治療法は、科学的または直観的に神経リハビリテーションの手法に従っている治療法のみである"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.157

神経リハビリテーションとは、さまざまな感覚や運動を使って、脳にもう一度正常な身体の動かし方を学んでもらおうとするリハビリです。
つまり「脳に再学習させて、新しい神経回路を作ろうぜ!」ってことなんですが、ここで大問題になるのが具体的にどんなリハビリをするのかってことなんです!

なにしろ音楽家のジストニアは「正しいと思われる動きを繰り返すこと」が原因になっています。正しい動きを練習すると症状が悪化するなら、どういうリハビリをしたらいいんでしょう?
さらに、同じジストニアでも、症状は人によって千差万別です。楽器によっても違うし、同じ楽器だったとしても、問題は右手なのか左手なのか。そもそも脳は一人ひとり違います。それに対して、どのような感覚や運動を用いたリハビリが良いのかというのは、めちゃくちゃ答えが難しいんです。

それなので、それぞれの分野でそれぞれの方が独自にこの問題に取り組んでいます。
ある人は特別な装具を使ったり、他の人は演奏テクニックを変えてみたり、さらに他の人は精神的な面からアプローチしたりしています。

つまり、神経リハビリテーションが最も有効なのはほぼ確かだけれど、具体的な方法は人によって全く意見が異なり、完治が保証されるものではないんです。

"ジストニアは完治できると言えるにもかかわらず、いまだに絶対確実で申し分ないと証明された治療法は存在しない。"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.150

さて、とりあえずの医学的な知見はおさえられましたね!
今度はわたしの話をしましょう。
まずはわたし自身のジストニアが治ったプロセスをご覧ください。

わたしのジストニアが治るプロセス

リハビリ期間中、偶然にも同じ曲を撮っていたので、それを時系列に並べながら、その時々の解説をしてみます。
演奏動画は、クラシックギタリストでなければかなりわかりにくいと思いますので、最初と最後だけを見比べてもOKです。

Ⅰ.ジストニア発症~9ヶ月ぐらいまで

イタリアの国立音楽院を卒業して日本に帰国し、リサイタルを終えた2週間後ぐらいに指の動きが変なことに気付きました。

ジストニア発症直後は、何をしても全く効果がありませんでした。
力を抜こうとしても、脱力うんぬんの次元でなかったです。完全に左手の指が硬直して弾けませんでした。

それから正確に9か月だったかは忘れてしまいましたが、ほんのかすかですが、意志通りに動かすことができるようになりました。
この9ヶ月間は、ギターを弾くことは完全にやめましたが、音楽から完全に離れるのは辛かったので、少しだけピアノを弾いていました。
おそらく、それがリハビリとして功を奏したのだと思います。

指の動きはガクガクブルブルしてる感じです。まるでナマケモノが地面を這ってる時のような感じでした。
しかし、指が反り上がったり、硬直していた時に比べたら、音が出せるだけでも大進歩でした。
これほどまでに症状が変わるのであれば、ジストニアを完全に治すことも可能だと確信し、独自にリハビリ方法を試し始めました。

なお、この時期の動画は撮っておりません。ギタリストとして希望を失っており、それどころではありませんでした。

Ⅱ.ジストニアから2年半ぐらい

2012年11月20日の演奏動画

この時、自分で試していたリハビリが大きく効果を上げていたので、すでにジストニアは治ったと思っていた(思いたかった)し、演奏も支障なくできると筈だと思っていました。しかし、演奏動画を撮ってみると手が思い通りに動かないことがはっきりしました。
ただの練習不足ではなく、はっきりと自分ではコントロールできない指のこわばりを感じて、「やっぱり治ってないのか…?」と落ち込みました。

しかし、ジストニアの症状がひどかった時は最も簡単な音型すら弾けなかったのですから、全く治ってないと断定するわけにもいきません。
はっきりと症状が改善してはいるのですが、治ったとも治ってないとも言えないもどかしい時期が続きました。

なお、病院では、この程度まで回復すれば完治と言われてしまうのではないでしょうか。
しかし演奏家当人にはわかる症状として、

・パッセージによってはコントロールが難しく、細心の注意を払わなければ弾けない。
・30分以上練習すると、だんだん手のこわばりが強くなるので、長時間の集中的な練習ができない。
・速さや強さを求められると、症状が戻ってきてしまうので、不自然な変え指やフォームで対応しなければいけない。

というものが挙げられます。

Ⅲ.ジストニアから4年半ぐらい

2014年10月14日の演奏動画

その後もリハビリを続け、3年半が過ぎた頃には治ったと自信をもって言えるようになりました。
上の動画はそれよりさらに1年経って、4年半が経過した時のものです。
かなりの動きにおいて、問題なく動かせるようになってきていて、はっきりと機能が向上しています。

しかし、ギリギリまでパフォーマンスの質を上げようとして、速度を上げると、指が不思議な硬直をし始めました。
ジストニアのリハビリにおいて越えられない壁のようなものを感じ、実際にはまるで治っていないのではないかと疑う時もしばしばありました。
この「やっぱり完治はしないのか…」と何度も突きつけられる絶望が本当に辛かったです。

Ⅳ.ジストニアから8年

2018年6月16日の演奏動画

その後も「やっぱり治ってないんじゃないか」というような症状に気付く度に、一つ一つリハビリを考え、独自の訓練を続けてきました。
ここまでくると、どう見てもジストニアは治っています。
しかし、完全に思い通りには弾けていません。弾きにくい運指は避けていたり、スピードを保つために軽めに弾いていたりと、わずかながら指の都合に配慮しています。

Ⅴ.ジストニアから12年

2022年7月15日の演奏動画

そして10年以上経った時に撮影した動画です。ジストニアの症状はほとんど完全になくなりました。

2024年現在は状態がさらに改善されていて、自分の意思に反して筋肉が縮こまったりこわばったりすることは、どんなパッセージを弾いている時でも一切なくなりました。

というわけで、わたし自身のジストニアが本当に治ったのは、動画を見ていただいてわかったと思います。
それではわたしが独自にやっていったリハビリ方法についてお話しましょう!

どんなリハビリをしたのか?

前述の通り、神経リハビリテーションが最も有効であることは、わたしも最初から直観的にわかっていました。
しかし、新しい神経回路を作る具体的な方法がわかりません。
この時にわたしが極めて幸運だったのは、以下の点です。

1.いったんギターを諦めたので、効果の期待できない治療法を試さなかった。

音楽家のジストニアを完全に治したいのであれば、きちんと原因に対処し、完全に治すことを目標にしている治療を受けるべきです。対症療法や民間療法のような完治が期待できない治療を試すのは、わたしにとって時間と労力の無駄でした。
完治は望みえないと思い、ギタリストとしての活動をいったん完全に諦めたので、回り道をせずにすみ、またリハビリの初期段階がとても早く進んだと思います。

2.違う職に就くつもりで偶然学んだものが、新しい神経回路を作る具体的な方法論だった。

ギタリストを諦めて何をしようかと思っていた時に、フェルデンクライス・メソッドという運動療法の資格を取らないかと誘われました。
生計を立てる手段になるかもと考えて、民間資格ではありますが、指導者になるための国際資格を取得するためにみっちりと学んでいきました。
そうしている内に「あれ?この理論がもし本当なら音楽家のジストニアは治らないか?」と思ったんです。
そこから自分の身体を実験台に、色んなことを試していきました。

フェルデンクライス・メソッドとは運動療法の一つで、神経系全体を作り替える方法論です。モーシェ・フェルデンクライスというユダヤ人が体系化しました。
参考記事:フェルデンクライス・メソッドとは?【完全解説!】

フェルデンクライス・メソッドのレッスンは、全体的な身体の動きを改善して、肩こりや腰痛のような問題を解消するものが多いです。
しかし、その核となるアイデアは、指の動きのような細かい部分にも応用でき、深く理解すれば独自のレッスンをいくらでも作っていけます。
もしもわたしがジストニアを治すために、フェルデンクライス・メソッドのレッスンを受けていたら、「肩こりや腰痛はとれるけど、ジストニアには効かないな。」と諦めていたと思います。
ギターはいったん諦めて、新たな資格を取るつもりで勉強したので理解が深くなり、ジストニアのリハビリに活かすところまで応用できました。

それでは実際のレッスンを一つ紹介します!
あなたにジストニアの症状があり、指の不具合を感じているのであれば、高確率で症状に改善がみられると思います。

いかがでしょうか?あなたの症状に上手く合致していれば、ぐっと弾きやすくなった筈です。

指の動かしやすさは肩の動きやすさと大きな関係があります。
なぜなら、演奏というのは指だけ動かしているわけではなく、指や手首、肘、肩などの動きの連動だからです。
そして、各部分の動きはそれぞれ、対応する脳神経の活動として確認できます。(fMRIなどの機器を使えば、神経細胞の反応を実際に見られます。)

フェルデンクライス・メソッドのアイデアは、これらの神経活動をお互いに独立させ、それぞれを自由に連動させられるようになることです。
そういう意味で、先ほどやってもらったレッスンは、頭と肩、そして腰の機能をそれぞれ独立させるトレーニングだったわけです。

事実、ジストニアの原因は、脳神経の活動が重複してしまう、つまり各部分が独立せずに一緒くたに活動してしまうことである可能性が高いです。

"音楽の訓練を受けていない人については、それぞれの指の感覚を司る皮質領域がはっきり限定されており、重複していない。ジストニアを患う音楽家の場合、各指に関する皮質野が増大するだけでなく重複部分が発生するため、さまざまな指からもたらされる感覚に携わる大脳皮質野が存在する。"
- ジャウメ・ロセー・イ・リョベー. どうして弾けなくなるの?-<音楽家のジストニア>の正しい知識のために-. 音楽之友社, 2012, p.113

さあ、ここまで読んでくださった方は、現代医学の見解とは少し違ったとしても、わたしが言う内容に一定の信憑性を感じてくださったと思います。
しかし、これ以上説明しようとすると、あまりにも膨大な量になってしまうので、わたしのリハビリ方法についてはここで話を終わろうと思います。
もっと詳しく知りたい方は、ぜひカラダ♮の他の情報もチェックしてみてください。

リハビリに取り組んでる方へのアドバイス

最後に大事なことを。

“諦めてもいいんです。”

撤退は失敗ではありません。
わたしはとんでもない幸運だったので、完治にやっとこさたどり着きましたが、それでも10年以上かかっています。
元通りに弾けるようになったからと言って、それはゴールではありません。そこからまた演奏家としてのキャリアを再スタートするんです。

人生は有限です。リハビリに費やす時間とお金を使って、別の分野に打ち込んだ方が幸せになれないでしょうか。
ロベルト・シューマンはピアノが弾けなくなったので、作曲家になりました。ジャンゴ・ラインハルトは火傷で指が動かなくなったので、革新的なテクニックを編み出しました。

しかし、もし絶対にジストニアを完治させたいなら、あなたは常識の外側に行かなければいけません。そこは玉石混交の、道なき道を行く世界です。
常識的には治らない病気を治そうとするのは、ある意味、「空気より比重の重い機械が空を飛ぶのは原理的にありえない。」と言われながらも、飛行機を発明したライト兄弟や、1万回実験に失敗して「失敗じゃない。1万通りの上手くいかない方法がわかっただけだ。」と言ってのけたエジソンを目指すのに近いところがあります。

一番大事なのは、自分の頭で考えることです。自分の可能性を最大限に活かして、充実した音楽ライフをおくりたいですね!

さいごに

前述したとおり、ジストニアの完治は望みうるものとは言え、本当にそこまで到達するのはたいへんな道のりです。
自分の症状に根気よく向き合って、さまざまな知識を学び、常識を疑い、事実だけを並べて、一歩ずつ前進していく作業です。
しかし、その到達点はすばらしい景色です。

わたしは音楽家としてのキャリア形成に大切な、青年時代のほとんどをジストニア克服に費やしてしまいました。
しかし、今ではそれを肯定できています。
そして青年時代が過ぎ去ろうとしている今も、少年のころに抱いた自分の夢を追いかけ続けられています。
音楽家のジストニアを患い、それを克服する経験がなかったなら、おそらくその夢はもう捨てていたでしょう。

今現在、音楽家のジストニアと闘っておられる全ての方に心からのエールを送ります。
この記事を読んだ方にとって、わたしの体験が少しでも参考になればたいへん嬉しいです。
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