Learning involves gaining a difference, and it must be a significant difference.
学習とは、違いを会得することであり、それは意味のある違いでなくてはいけません。
— モーシェ・フェルデンクライス
引用著作 : The Master Move – p177
カラダ♮の解説
20世紀の人類の大発見の一つに、ソシュールの言語学やレヴィ・ストロースの構造主義が挙げられます。
簡単にその内容をまとめると、
事物の意味を決定するのは実は事物そのものではない。
「他のものがそうではない」という「差異」によって決まる
という考え方です。
例えば、人間はどのようにして緑色を緑色だと理解できるようになるかというと、緑色は赤でもなく、黄色でもなく、茶色でもなく、青でもないと他の色との関係を比較してようやく理解されます。
緑色という対象それ自身で緑色は決まらないのです。
人間のあらゆる学習は、この「差異を感じること」によって発達すると言っても過言ではないでしょう。
Articulateという英単語がありますが、その意味は「関節でつなぐ」です。
曖昧で一つにボヤっとつながっている世界を、違いで分けて、つなぎ直して認知していくことが学習なのです。
フェルデンクライス・メソッドの用語でいえば、分化と統合です。
アーティキュレーションとも言えます。
アーティキュレーションがない演奏、不明瞭な言葉の発音、未分化の身体の使い方、優しいだけでは女性にもてない(!?)こと、人間を善人悪人で分ける二元論。
実は全て同じ本質の問題であることがわかるでしょうか?
違いを感じ分けていくというのは、私たちにとってとても大切なことなのです。