Conscious control and willpower, when properly directed, often improve certain details here and there, but intellect is no substitute for vitality.
A sense of the futility of life, tiredness, and a wish to give it all up is the result of overtaxing the conscious control with the tasks the reflexive and subconscious nervous activity is better fitted to perform.意識的なコントロールや意志の力は、適切に用いられれば、ある程度の細かいことを向上させられます。
— モーシェ・フェルデンクライス
しかし、知性は活力の代わりに全くなりません。
人生の無力感、疲れ、諦めは、反射機能や無意識の神経活動が担うべきものを、意識的なコントロールでやり遂げようと無理する結果、生じます。
引用著作 : The Elusive Obvious – p69
カラダ♮の解説
「歴史上最高のサッカー選手」との呼び声も高いリオネル・メッシのインタビューを先日見ていました。
インタビュアーから「なぜこのようなドリブルができるんですか?」と問われ、「さあ。一瞬のプレーだからね。一瞬のプレーだから考えている暇はないんだ。とっさの判断でうまくいっただけ。」と答えていたのが、印象に残りました。
わたしたちも当たり前のように、座ったり、立ったり、歩いたり、話したり、食べたりしますが「なぜできるんですか?」と問われたら、どう答えるでしょうか?
・・・もちろんわたしたちの意志で行っている行動ですが、一々考えてしているわけではありません。いわば「半自動運転」なのです。
この半自動運転をつかさどるのが、「セルフイメージ」です。
人はそれぞれ「自分自身をどのように感じているか(セルフイメージ)」という基準に従って行動します。
ですからセルフイメージを変化させるのでなければ、知性や意志の力で絶えず矯正し続けるしかありませんし、それでは疲弊してしまいます。
フェルデンクライス・メソッドのレッスンは、正しい動きに矯正するためのものではなく、より豊かなセルフイメージを脳に学習させるためのものなのです。